美術史001:ミケランジェロのピエタ
ミケランジェロの《サン・ピエトロのピエタ》
昨日の藝大の授業「彫刻概論」は、ルネサンスの2回目。ミケランジェロがテーマ。彼が15~17歳くらいで作った《階段の聖母子》から授業を始める。聖母マリアの大きな手足や、がっしりとした骨太の肩などには、のちの《モーセ像》を彷彿とさせる、いわゆるミケランジェロらしさのひとつがすでにみられる。
翌日の今朝は、なぜか目が覚めると、彼が20歳くらいで作ったサン・ピエトロの《ピエタ》が頭から離れない。仕上げの美しい整ったピエタ像は、品のある雰囲気をまとっている。もちろん若い聖母の体格はかなり骨太であるが、そのことよりも隅々まで満遍なく精度の高いつくりがいきわたり、全体の上品さや美しさを前面に押し出してくる。気の抜けたところのない仕上げと、ミケランジェロの特徴といわれる身体のひねりよりも、三角形の安定した構図が優先されている。これらは、ミケランジェロ作品のなかではめずらしい。彼はこの作品に満足していたのだろうか。人類の宝を呼べる素晴らしい出来栄えだが、彼は納得できなかったのだろうと、私は思う。だからこそ、また次のピエタの制作依頼を受けて作り、とうとう最晩年、死ぬまで彫っていたのもピエタ像だった。それがミラノにある《ロンダニーニのピエタ》である。この像については、書くことがたくさんあるので、また別の機会にさせていただく。
私は20代前半、ルネサンスと印象派に夢中だった。23歳の時初めてフィレンツェをゆっくり見て回った時も、ドナテッロの《ダヴィデ》も見た記憶はあるが、やはりミケランジェロのほうに断然惹かれた。ドナテッロの凄さ、「俺すごいでしょ!」と言わない「静かな凄さ」に圧倒されたのは、30代も後半になってからだった。そしてドナテッロの器用さ、異なるスタイルを、あっさりと作り分けてしまう凄さ。《エレミヤ》《ハバクク》と同時期にあの美少女のような《ダヴィデ》をつくっているのだから。
《サン・ピエトロのピエタ》を考える限り、ミケランジェロにもかなり異なるスタイルを作る器用さはあったのだ、と今日改めて気づいた。ただミケランジェロにはそれが可能であったが、本人がそう望まなかったのだろう。彼は、彼の作りたいものを作ることを望んだ。かたやドナテッロは器用に作り分けられる職人のような在り方が性に合っていたのかもしれない。